【女子バレー】国籍変更をしたのは誰?夫(旦那)は誰?代表になれない理由も紹介

2025年5月31日、バレーボール女子の日本代表に、一部の帰化選手が登録できないことが明らかになりました。
SNSを中心に、この女子選手に対する同情の声があがっています。
今回は、日本国籍を取得したのに代表になれない女子バレー選手は誰か?その夫(旦那)は誰か、なぜ代表選手になれないかの理由とともに紹介します。
【女子バレー】国籍変更したのに代表になれない
2025年5月31日、バレーボール女子の日本代表に、一部帰化選手が日本代表に登録できないことが明らかになりました。
この女子選手は2018年から日本でプレー。
2022年に協会関係者から「国籍変更すれば代表入りの可能性が高い」と伝えられ「五輪に出場したい」という思いから国籍変更を決意。
日本人男性と結婚し、手続きを進めていました。
なぜ日本代表になれない?
日本国籍を取得したにも関わらず日本代表になれない理由はズバリ、
2023年6月にFIVBが、「14歳でバレーを始めた国で代表に選ばれた選手は、他国の代表選手になれない」と、規定を改定したのです。
それまでは国籍変更前に代表経験があっても、国籍変更後の国で代表選手になることができたんですよね。
FIVBは新たな規定の施行までに90日間の猶予を設けており、既に国籍変更の申請を進めているなどの理由を申し出れば、救済措置として認められる可能性があったのですが、日本バレーボール協会(JVA)の幹部が改定の内容を把握していなかったようです。
【女子バレー】国籍変更した選手は誰?
日本国籍を取得したのに、代表資格を得られなかった選手は、2025年5月31日までSVリーグ女子の大阪マーヴェラスに所属していた蓑輪 幸(みのわ さち)選手です。
マーヴェラスでのポジションはミドルブロッカー。
蓑輪選手は、1996年1月20日生まれで、フィリピン出身です。
旧名は、アライジャ・ダフニ・アントニオ・サンティアゴ。
愛称は、ジャジャで、インスタグラムのフォロワー約44万人の人気選手です。
2018年に来日し、埼玉上尾メディックスに加入し、2023年にJTマーベラス(現:大阪マーベラス)に移籍。
195㎝と女子選手の中では長身で、高さのあるアタックとブロックで得点を重ね、2023-24シーズンには所属チームの準優勝に貢献しました。
個人としても敢闘賞、スパイク賞、ブロック賞、ベスト6を受賞しています。

日本国籍を取得したのはいつ?
蓑輪選手は、2024年8月17日に自身のインスタグラムに日本国籍を取得したと投稿しています。
日本国籍の取得自体は2024年ですが、帰化にあたってはこまごました書類が必要ですし、なによりも審査が1年ほど時間がかかるんですよね。
FIVBの設けた猶予期間に所定の申し出をすれば、救済措置として認められたのではないでしょうか。
夫(旦那)は誰?
箕輪幸選手の夫(旦那)は、蓑輪 貴幸(みのわ たかゆき)さんです。
福井県鯖江市の出身で、蓑輪選手が以前所属していた埼玉上尾メディックスのコーチを務めていました。蓑輪選手とは職場結婚ですね!
現在は、フィリピンのクラブチーム(アカリ・チャージャーズ)、U-18フィリピン女子代表監督を務めています。
2022年8月27日にインスタグラムで結婚を発表しています。
蓑輪選手のインスタグラムには、度々旦那さんとの写真が投稿されていて、非常に仲の良い夫婦というのが伝わってきます。素敵なご夫婦ですよね!
日本代表になる可能性は?
蓑輪選手は、現在協会に対して質問状を送っていますが、バレーボール女子日本代表になる可能性は、FIVBの規定により難しい状況にあります。
ファンとしては、今後の動向に見守っていくしかありません。
まとめ
今回は、国籍変更をしたのに代表になれない女子バレー選手は誰か?その夫(旦那)は誰か、なぜ代表選手になれないかの理由とともに紹介しました。
日本人男性と結婚し、日本国籍を取得した蓑輪幸(みのわさち)選手。
195㎝の長身から繰り出されるアタックは、日本チームの大きな武器になったはず。
協会の確認不足・怠慢は、蓑輪選手のオリンピック出場という夢を奪っただけではなく、日本女子バレー界の損失ともいえるのではないでしょうか。
